京都修学院の地に、関西セミナーハウスが建てられ、そこで日本クリスチャンアカデミーの活動が開始されてから、約40年を数える。この間、この財団の設立に関わった人達は、志を大きく持ち、開拓的な活動を展開してきた。生命の意味研究会、開発教育セミナー、幼保セミナー、フアンタジーグループ研修会、労働リーダーシップコースなどは、その実りの例である。
しかし、その設立に関わった人達が、第一線を退いた今、関西セミナーハウスは、一つの節目を迎えている。初代からバトンを引き継いで、運営の責任を負おうとしている人達には、設立の理念が見え難くなっている。我々が受け継ぐべき理念は何なのかを吟味し、現代においてこの運動が担うべき課題は何のかを見定め、進むべき方向を明確にするべき時である。折しも財団を支える財政的基盤も脆弱になってきた。従来のやり方を見直すことなしに、活動を継続することは困難である。
我々が継承するべき大切な理念とは何か。その一つは、話し合いを通して、和解の務めを果たすことであろう。話し合いとは、単なる語り合いを意味しない。それは、語ることと同じ重さで、聞くことを重んじる。聞くことと同じ重さで、思うことを重んじる。その思いは、天に向けて開かれていることを重んじる。和解とは、異なる意見をつなぎ合わせることを意味しない。異なる意見から学び、両者の思いを越える新しい道を発見し、共にそれに向け歩み出すことを意味する。
我々が直面している課題とは何であろうか。一見平和と繁栄を謳歌しているかに見えるこの社会の影に、悲しみに打ちひしがれている人達が隠されている。例えば、力こそ正義とする流れの影に、競争こそ社会の活性化原理とする流れの影に、能力こそ人の価値を決めるものとする流れの影に、工業化こそ価値あるものとする流れの影に、若さこそ価値あるものとする流れの影に、健康こそ価値あるものとする流れの影に、ーーー。私達は、新聞やテレビのニュースの影に隠されている悲しみに目をとめる。どこに問題があり、その根本的な問題解決の鍵がどこにあるかを聖書にたずねる。この書は、地上の栄華を求めることの愚かさを警告し、最も小さい者に寄り添いたもう方の存在を指し示している。私達は、この作業をキリスト者だけでなく、広く様々な立場の人達との共同の業として行う。
関西セミナーハウスが、このような志をもつ人に対していつも開かれていることを願う。幸いにも、関西セミナーハウスは、周囲を豊かな自然に包まれている。四季折々の自然の移り変わりを身近に感じさせてくれる。西山の向こうに日が沈むと、静寂が周囲を包む。山懐に抱かれた宿は、私達を静かな語らいと、思索へと誘う。この場所を大切にしたいと思う。そのためには、財政的基盤を確かなものにしなければならない。今年度、関西セミナーハウスは、プログラム部門の活動センターと、宿泊施設と会議室を運用する部門に分け、それぞれの部門を堅実に成長させる覚悟を新たにした。このセミナーハウスを沢山の人々が支え、生かして用いて下さるようにお願いしたい。