久しぶりにインドを旅した。都市化の勢いは急だが、民衆の日常生活は以前と変わってはいないように見える。
ヒンドウーの聖地バラナシではいまも多くの巡礼者、沐浴する人びと、錦織の布に包まれた遺体を担架に乗せてガートに運ぶ行列に行き交う。心の穢れ、罪の浄めをガンジス河の「水」に託す。また遺灰を流して終焉の旅に出る。日本でも寺社や山岳で滝水に打たれる「行」と「清め」は、よく知られている。しかし、聖化のプロセスが「因果応報」、「浄・不浄」を増幅させるような機能になっては、当初の意図に反してしまう。差別と蔑視を生み出す因習になってはならない。
都市の主要道路や狭い街の路地を聖牛が群をなす様は、いまもインド的な風景である。牛がなぜ聖化されたかは明確ではないようだ。日本でも稲荷信仰があり、狐が五穀豊穣の使者と信じられている。しかしインドの牛は特別のようだ。牛は荷役、燃料としての牛糞などの実利性だけでなく、古代から神々の物語に登場する。本当はのどかな自然の中でのんびりしていたいのではなかろうか。
pro VISION INDIA「インドの明日を創る会」(代表はポール・ダースさん、バンガロール郊外で貧しい家庭の子どもたちのデイケアセンターを運営)は、今年で一三年目を迎えた。子ども一二〇名を受け入れていて大変だ。インドの多くのキリスト教社会活動グループがいまも海外からの支援を受けている中で、この会は地域社会とダースさん一家が中心であり、私たち「からしだねの会」の協力があるだけだ。
西暦五二年に成立したマル・トマ・シリア教会は別としても、プロテスタント教会は一七八〇年代からイギリスの植民地化と併行して、多くのキリスト教の教派が参入した。一九四七年に独立を果たし、現在は南インド教会、北インド教会が主要な教会連合体である。NCCI(インド教会協議会)に加盟する学校は三六九、病院数は二七九、神学校は一五を数えるという。教会の自主独立運営は厳しい。キリスト教人口は二・六%で少数だ。しかし教育、社会福祉の面での先駆的貢献は大きい。
ニューデリーYMCA前で待つタクシーのドライバーはシーク教徒と名乗っていた。北のパンジャブ州を中心にインド全体で二%の信徒がいる。少数だが「偶像崇拝、カースト制」を否定し、人間の平等を訴えている。この度の総選挙の結果、シーク教徒のシン首相が誕生した。
仏陀がはじめて説法したといわれるサールナート(鹿野苑)のダメーク・ストーバの前には多くの人びとが学んでいた。新仏教運動が盛んになりつつあると聞く。
バンガロールでは合同神学校(The United Theological College)のゲストハウスにお世話になった。ここ数年、日本からの留学生はいないと聞いたが、一九八〇年代に日本基督教団は南インド教会と深いつながりをもったことがあったという。部落差別問題でインドの被差別カーストの問題から学んだという。
宗教間対話の必要性は論を俟たないが、比較宗教にとどまらず、人権を護り差別を許さないという視点が大切であることを、インドであらためて考えさせられた。