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機関紙「はなしあい」
 
第465号 2005年6月号

 
[主な内容]

*関東活動センター
 戦後60年と日本のキリスト教(1) 戦争から平和への道筋を考える
 沖縄の戦争体験と基地から見えてくるもの 高里鈴代
 「ヒロシマ」を問う旅から 天野文子

*関西セミナーハウス活動センター
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 「対人援助を科学する〜対人援助に関わる方法と実践」

●寄稿 藤代だより

 
沖縄の戦争体験と基地から見えてくるもの

高里鈴代(基地・軍隊を許さない行動する女たちの会共同代表)

私が立っているところから報告したい。沖縄が要石というとき、沖縄を中心に半径500kmの範囲内にアジアの主要な都市がみんな入る地図が出てくる。今も政治的、軍事的に沖縄が立っているところがいつも問題になる。

これから何年?何世代まで続くのでしょうか
5月15日人間の鎖による普天間基地包囲を、二万四千人が集って行った。子どもたちも参加していたが、小さな子どもたちがまた親になるまで、いや次の世代までも、このように包囲しているのだろうか。普天間基地も、嘉手納基地も何回かそのように包囲している。
辺野古でも去年の4月19日から今日で404日目の座り込みが続いている。それが60年経った現在の沖縄の状況である。
天野さんは広島で被爆体験を持っている方だ。被爆は一度の被爆である。それが人体にものすごい害を及ぼし、そのままずっと次の世代にも続いている。

戦後60年、今なお基地・軍隊の島として
沖縄は、1945年3月26日から6月23日までの3ヶ月間、米軍が上陸し、住民を巻き込んだ凄惨な地上戦を経験した。10年前に「平和の礎」が建設され、すべての戦没者約23万人の名前が刻銘されている。しかし、戦争が終わって一年後、二年後米軍の車両で圧死した被害者などの名前は入っていない。その中には軍属として連れてこられた人の名前や1000人はいたであろう「慰安婦」の被害者の名前も刻まれていない。

戦後から27年間の米軍支配
1952年、日本の独立の代償として沖縄はアメリカに提供され、「忘れられた島」となった。米軍により強制的に住民の土地が摂取され、強大な軍事基地が建設され、今日も続いている。朝鮮戦争、ベトナム戦争では、米軍の出撃基地となり、「太平洋の要石」としての、戦略上の重要な役割を担わされ、核戦争の危機と隣り合わせに暮らさねばならない状況におかれた。

基地の島は軍隊の暴力
72年5月15日施政権の返還がなされたとき、沖縄の米軍基地は、日本全体の米軍基地の53%であったが、現在は75%になっている。60年間、沖縄では様々な形で抵抗運動が続いた。それにもかかわらず、現在の状態が続いている。演習による事故事件、環境汚染、米軍兵士による犯罪、特に女性への暴力が最も大きい。
軍隊は、武器を持ち,ナイフをもって集団で女性たちを拉致し、強姦する。米軍は、公務中・公務外の事件と分類しているが、この分類は問題である。沖縄では多くの事件事故が起こっている。
このような現実の中に教会は建てられている。暴力と支配の只中で、沈黙、無関心は暴力の補完である。60年経っても沈黙をし続けないことを通して、この状況を変えていきたい。

「ヒロシマ」を問う旅から 

天野文子(元幼稚園園長 NCC平和・核問題委員会委員)

人間が神になって正義のため、お金のため戦争をすることは憲法九条にも聖書の真髄にも違反している。私は、ヒロシマから何を学んで欲しいかを伝えたい。沈黙の32年間があった。しばらくして女学校の時、かばんの中に持ち歩いて残った日記は『ひかりのたね―「あの時代」を生きた少女の日記』になった。

想起の原点―「あの日」と「あの時」
14歳だった私は、兄の入院が一日遅れたため学徒動員で行っていた工場のロッカーで被爆した。あの瞬間はたたきつけられて意識はあったが何が何だかわからず、助けを求めて工場の外に出た。そこは今だかつてない風景だった。何とも言えないきれいな火の玉。道には大勢の死者たち。町が全部焼けて周りを見回すと生きて立っているのは自分ひとりだった。どうして、ヒロシマだったの。どうしてこの半世紀戦争はますますひどくなっているの。繰り返し伝えても言葉が足らない。あの日予定通りだったら爆心地で死ぬはずだった。その重みは強くなってる。

子どもと教会との出会い
袋町小学校の子どもたちのため教会にクリスマスの飾りを借りに行った。初めてクリスマスに招待され、教会に行き始めた。戦争の一番の犠牲者は子どもたち。私はもう大人、子どもたちに責任がある。原爆のトラウマから心閉ざしていたが、少し放たれた。「爆弾を作るのも落とすのも人間」であり、ローマ法王は「戦争は人間の仕業」と言った。なぜ、キリスト教国がという思いがあった私にとってそれは、信仰告白だった。

「生か忘却か」
生き残ったものに忘却は許されない。もし、沈黙したとしたらそれは死を選んだことになる。死んだ人の代わりに、「今こんな核兵器の時代の始まりよ、ヒロシマ・ナガサキで終わりじゃなくて今はもっとひどいのよ、あなたたちの問題なのよ」と言う。もし、聞かないとしたら死者は二度殺される。二八年間の旅で多くのモニュメントを訪れたが、それらを見ると、どう記憶するか、どういう風に次の世代に伝えるかがわかる。

平和への道筋を考えよう
一人が三歩行くよりも百人が一歩行こうと言っている。あきらめずに声を上げることが大事。それが国内・国際世論を作る。イデオロギーを超えて世界中がピースボートにならなくては。「敵を愛しなさい」は平和の原点である。知るということはエネルギーがいるが、知らないことは罪。知らないで罪を犯すから。知ったことを伝えないのも罪。現場で生の声を聞くことは大変なことだが、安全を守り平和を伝えていきたい。

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