「アカデミーは輝いていた」などと書き出せば、「ミュンヘンは輝いていた」で始まるトーマス・マンの『神の剣』を連想されるかもしれない。しかし、マンが故郷の北ドイツとは異なる空気と歴史のきらめきを南ドイツ・バイエルンの王都に感じとったように、閉鎖的な田舎町の空気のなかで育ったわたしには、修学院の関西セミナーハウスを舞台とする活発な活動が眩しく感じられた。
そこは、内外の交流拠点であり、意識高い人びとが集っていた。ドイツ語のターグングに込められた深い意味もだれかに教えられて、妙に感動したことも忘れられない。
しかし、それは三十年も昔、学生時代のことだ。いま、おもいもよらずアカデミーの働きの一端に加えていただいて、率直に申せば、輝きなお失わずと言い難い。時代が変わり、社会の期待やアカデミーを取り巻く環境は激変した。
われわれの活動は若い人びとに輝いて見えるだろうか。次代の主人公たる若者たちの希望のよりどころを提供しているだろうか。忸怩たるおもいを禁じ得ない。
しかし・・・、とわたしはあえて言いたい。このような時代にこそ、アカデミーの真価が問われているような気がしてならないからだ。
救い主のご降誕の日が近い。あのときも、人びとは希望の在りかを探しあぐねていたのかもしれない。星を頼りに旅をした占星術師たちは、人間の営みのむこう側に闇夜を凝視していた。天使の歌声に耳を傾けたのも、王宮の住人たちではなく、野宿する牧羊者たちだった。さらに、マタイ福音書は、ヘロデ王による幼児虐殺を、分娩直後に嬰児を遺して逝った、母ラケルの無念に重ねて伝えている。
ラマで声が聞こえた。
激しく嘆き悲しむ声だ。
ラケルは子どもたちのことで泣き、・・・・
子どもたちはもういなから。
それは、いったいどんな泣き声だったろうか。
イエスの誕生には、嘆きと悲しみの声が響いている。いや、イエスだって飼い葉桶のなかで、大きな泣き声をあげたに違いない。しかしその産声には、わが子をその胸に抱くことさえはたせなかった母の悲痛と、不当な暴力によって奪われた叫びもまた響いていたのだ。
「ニート」や「希望格差社会」の衝撃は、いまや「下流社会の出現」というより過激で過酷な現実理解のための予備的段階に過ぎなかったと認識すべきなのかもしれない。イギリスやフランスで起こった国内暴動の背景には、イスラーム系移民社会との文化的・社会的な葛藤が指摘されている。
社会が階層分化し、世代間の断絶が恒常化するとき、その軋轢と衝突のなかにうめく人びとがいることを、イエスの誕生物語は告げている。
「実にすべての人々に救いをもたらす神の恵みがあらわれました。」(テトス二・一一)「すべての人々」は、けっして抽象的な存在ではない。声を奪われた人びと、そして、人生の困難のなかにただ押し黙るしか術をもたないわたしたち自身の無力が、この言葉には刻まれている。
アカデミーの使命。それは、飼い葉桶の幼子の泣き声に耳を澄ますことだ。そこには、日常の喧噪によって、かき消されそうな声も、歴史のなかで忘却してしまった声も、たくさんの悲しみを生きた人びとの声が響いているのだから。
(同志社女子大学教授)
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