| いま静かに、しかし共感と感動をもって広がっている1冊の本があります。「ハチドリのひとしずく」(光文社刊)という題名の小さな本です。もともとは南米アンデス地方の先住民族の間で伝わっていた物語だそうですが、英語に訳され、日本語にも訳されて、多くの人に読まれるようになりました。その物語はとても短いものです。
森が燃えていました。
森の生きものたちは
われ先にと
逃げて
いきました。
でもクリキンディという名のハチドリだけは
いったりきたり
くちばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは
火の上に落としていきます
動物たちがそれを見て
「そんなことをしていったい何になるんだ」
といって笑います
クリキンディは
こう答えました
「私は、私にできることをしているだけ」
たったこれだけの物語です。それに、結論らしいことはどこにもありません。
「私は、私にできることをしているだけ」
しかし、この言葉がなぜかこころのなかに、繰り返されてくるのです。そしてそれが、読む人々の共感と感動を呼ぶのでしょう。
この物語を紹介した辻 信一さんは「あとがき」でこう書いています。
"ハチドリの物語の中の「燃えている森」。それは、世の中を覆っている無力感の靄のことかもしれません。そして、ある問題について真剣に考えたり、議論したり、行動を起こしたりすることに大きな困難を感じさせる、ぼくたちひとりひとりのうちの不信やあきらめの気分。この無力感の靄さえ晴らすことができれば、きっと目的地である山の頂は案外と近いところに現れるのではないでしょうか"
* *
私たち日本クリスチャンアカデミーは「キリスト教の社会に対する奉仕の一つの姿として、社会と人々の持つさまざまな価値の多様性を尊重しながら、正義、平和、いのちが尊ばれる社会の実現を目指すこと」を理念として掲げ、「話し合い」「対話」によって実現していくことを課題としています。しかし、現実には「話し合い」や「対話」の無力さや無意味さを感じさせられることも多く、また、「話し合い」や「対話」などでは問題の解決はできないとの、厳しい批判に晒されることも経験させられています。
しかし、それが現実だとしても、私たちの住んでいる森がいまも燃えているのです。たとえば、イラクやパレスチナの地で、世界の各地で戦火という火が燃えているのです。地球温暖化という環境破棄によって大災害や飢饉という火が燃えているのです。教育現場や家庭生活において日常的に起こるいじめや虐待という人格否定という火が燃えているのです。
なにからそして、どこから手をつければよいか分からない中で、しかし「ハチドリのひとしずく」にかろうじて希望があることも間違いのないことでしょう。この物語はなんの結論も出していませんが、「私は、私にできることをしているだけ」という言葉が、なぜかこころを揺さぶるとすれば、ひとりひとりが「ハチドリのひとしずく」を続けなければならないでしょう。
いまなお、森は燃えているのですから。
(関東運営委員長・日本基督教団早稲田教会牧師)
|